【人格心理学】「習い事が続かない」と嘆く親は、子供を潰す。――岸田秀に学ぶ、”飽きっぽい”の正体と才能の伸ばし方

子供というものは、親や教師の言うことに従うのではなく、勝手なときに勝手な理由で親や教師と同一視し、その行動パターンを取り入れて内在化するものであるから、子供のを変なふうに育てたくなかったら、親や教師は、子供に取り入れられたら困るような行動パターンをみずからは慎む以外にいかなる方法もない。

岸田秀「あきっぽい子とねばり強い子」より


Key words
子育て/習い事 続かない/飽きっぽい性格/岸田秀/子供の才能/教育虐待/習慣化/精神分析/自己肯定感/親のストレス

この記事は、以下のような「限界」を感じているあなたのために書いた。

  • 子供が習い事をすぐに「辞めたい」と言い出し、月謝を無駄にしている
  • 「継続力」のない我が子の将来が、不安で仕方がない
  • 子供のためを思って叱っているのに、関係が悪化している気がする

この記事の結論
「飽きっぽい」という性格は存在しない。あるのは「親の都合」と「まだ見ぬ情熱」だけだ。

ある日、妻とEテレ「すくすく子育て」を見ていた。テーマは「習いごとって必要?」

世の親たちの永遠の悩みに対し、我が家でも議論が勃発した。

とにかく継続こそ力なりだ。一度始めたら、石にかじりついてでも続けさせるべきだ。それが将来の糧になる。
でも、嫌がることを無理やりさせても意味ないんじゃない? 好きなことをやらせてあげたい。

好きなことだけやって生きていけるほど、世の中甘くない。嫌なことでも続ける「耐性」をつけるのが親の義務だ。

……どうだろうか。あなたも私と同じように、「継続=善」「中断=悪」という呪いに縛られていないだろうか?

結論から言おう。かつての私は間違っていた。 この呪縛を解き、本質的な「才能」を見つける鍵が、精神分析学者・岸田秀の名著『幻想に生きる親子たち』収録の「あきっぽい子とねばり強い子」にある。

もしあなたが子供の「飽きっぽさ」にイライラしているなら、この記事を最後まで読み進めてほしい。あなたのそのイライラが、実は「子供への愛」ではなく「親の傲慢」であったことに気づくだろう。

そしてその気づきこそが、子供の才能を開花させる唯一のトリガーとなる。

衝撃の事実:「飽きっぽい性格」など存在しない

岸田秀は、私たちの常識を根底から覆す。 彼は「この世に、客観的な意味での『飽きっぽい子』も『粘り強い子』も存在しない」と断言するのだ。

「そんな馬鹿な。うちの子は三日坊主だ」と反論したくなる気持ちはわかる。だが、冷静に以下の例を想像してほしい。

もしあなたの子供が、以下の行動を「粘り強く」毎日続けていたら、あなたはどう思うか?

  • 爪を噛み続ける
  • 指しゃぶりを続ける
  • 壁に落書きをし続ける
  • 奇声を上げ続ける

あなたは間違いなく「やめなさい!」と叫び、その行為を止めさせようとするはずだ。そして、子供がすぐにそれを辞めたら、あなたは「素直な子」「聞き分けの良い子」と褒めるだろう。

ここには「飽きっぽい」という非難は存在しない。むしろ「すぐに辞めること」が称賛されている。

逆に、子供が「ピアノ」や「勉強」をすぐに辞めたらどうか? あなたは途端に「飽きっぽい」「根性がない」と非難するに違いない。

つまり、こういうことだ。

「飽きっぽい子」とは、親が「続けてほしい」と思っていることを、すぐに辞める子のことである。 「粘り強い子」とは、親が「続けてほしい」と思っていることを、親の期待通りに続ける子のことである。

性格の実体など、どこにもない。 あるのは、「親の都合(期待)」に合致しているかどうかという、身勝手な判定基準だけなのだ。

性格判断は、親の「エゴ」の鏡である

岸田はこう指摘する。

およそ、性格判断というものには、判断される者についての、判断する者の何らかの価値判断が伴っている。無色透明で公平で客観的な性格判断というようなものは存在しない。

あなたが子供を「飽きっぽい」と罵るとき、それは子供の性質を語っているのではない。 「私の思い通りに動かない子供が許せない」という、あなた自身の焦りと傲慢さを語っているに過ぎないのだ。

この事実に気づかない限り、どんな習い事をさせても、あなたは子供を追い詰め続けることになる。

親の「傲慢」が子供の人生を狂わせる

「子供のためを思って」という言葉ほど、罪深いものはない。

親はしばしば、「今は嫌がっていても、将来きっと役に立つ」と信じて、嫌がる習い事を強制する。 だが岸田は、これを「致命的な傲慢」と切り捨てる。

そもそも、子供にとって何がいいかを子供自身よりも自分のほうがよく知っていると思うことができるというのは、親や教師の己惚れもしくは傲慢である。

親の敷いたレールの上で、嫌々ながらも継続し、成功したとしよう。その時、子供が得るのは「親の操り人形としての成功」だ。

逆に失敗した場合、子供に残るのは「親の言うことを聞いたせいで時間を無駄にした」という救いようのない後悔だけである。

一方で、子供自身が選んだ道ならどうだ? たとえすぐに飽きて辞めたとしても、それは「自分には合わなかった」という貴重なデータになる。失敗すらも、自我の糧となるのである。

解決策:親がすべき、たった一つのこと

では、我々親はどうすればいいのか? 子供が何もしないまま、ただ眺めていればいいのか?

違う。岸田秀の議論の先にある答えは明確だ。

「継続力」を鍛えるのではない。「好き」を見つける手助けをするのだ。

これは、「あきっぽい」とか「ねばり強い」とかの性格傾向があるかないかの問題ではなく、自分の好きなことがまだ見つからず、そこに混乱や葛藤があるかどうか、自分の好きなことがしっかりと確立されているかどうかの問題であろう。

どんなに飽きっぽいと言われる子でも、ゲームやYouTubeなら何時間でも集中するはずだ。それは「性格」が変わったのではない。「対象」が変わっただけだ。

つまり、子供が習い事を続けない理由は根性がないからではない。

まだ「魂が震えるほどの『好き』」に出会っていないだけなのである。

親の役割は、嫌がるピアノを無理やり弾かせることではない。

「これじゃないなら、次はあれを試してみよう」と、新しい世界への扉を次々と開いてやることだ。

「好き」が見つかるまで、何度でも「飽きて」いい

「石の上にも三年」は、昭和の遺物にすぎない。

変化の激しい現代において重要なのは、合わない環境に耐え続ける能力ではない。自分に合った環境を素早く見つけ出し、そこに適応する能力だ。

だから、親であるあなたがやるべきアクションは2つだ。

① まず、親自身の「色眼鏡」を外す 自分の価値観を子供に押し付けていないか?
その不安を解消するために、まずは岸田秀の言葉を直接浴びてほしい。この本は、あなたの育児の「肩の荷」を劇的に下ろしてくれる。

※あなたのイライラの正体が、論理的に解明される名著だ。

② 「数打ちゃ当たる」戦法で、体験を浴びさせる 子供が何にハマるかは、やってみないとわからない。 スポーツ、プログラミング、英会話、アート……。手当たり次第に「無料体験」を試させればいい。 「合わなければ辞めればいい」という気楽さが、親子の精神衛生を救う。

例えば、今は自宅で完結するオンライン系の習い事も多い。送迎の手間もなく、親の負担も少ない。まずはここから「好き」の種を探してみてはどうだろうか。

おわりに:今日から「辞めること」を許そう

「飽きっぽい」という言葉は、今日限り捨てよう。 それは、子供が「自分の好きを探している冒険の途中」である証拠なのだ。

親がすべきは、管理ではない。応援だ。 子供が何かに夢中になり、親の声さえ届かなくなるその瞬間まで、何度でも「次!」へのチケットを手渡してやろう。

それこそが、親にできる唯一にして最大の「教育」なのだから。

それではまた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA