【過激な自己分析】「性格」なんて存在しない。あるのは「システム」だけだ ――人格心理学が暴くあなたの正体

Key words
人格心理学/性格/人格/システム/自己分析

「自分を変えたい」

「あの人の性格が理解できない」

「就活のエントリーシートに書く『長所』が見つからない」

もしあなたがそんな悩みを抱えているなら、一度立ち止まって考えてみてほしい。

あなたは自分の「後頭部」を、鏡を使わずに見たことがあるだろうか?

物理的に不可能なはずだ。

だが、多くの人は自分の「心」に関しては、鏡も使わずに「自分はこういう人間だ」と決めつけている。

そして、勝手な思い込みで勝手に悩み、勝手に傷ついている。滑稽ではないだろうか?

今回は、そんなあなたの思考停止を破壊し、正しく自分をハックするためのツール、「人格心理学(Personality Psychology)」を紹介する。

これはただの学問ではない。他者という地獄を生き抜くための、最強の生存戦略だ。

1. 結論:「性格」を変えようとするな。「システム」を書き換えろ

まず、教科書的な定義を捨てよう。 人格心理学とは、「人間という複雑怪奇なシステムを解読する技術」である。

多くの人は「性格(Character)」と「人格(Personality)」を混同している。

「私は暗い性格だから」「彼は攻撃的な性格だから」と嘆く。だが、心理学的に言えば、その悩みは出発点から間違っている。

アメリカの心理学者オルポートは、人格をこう定義した。

(人格とは)個人の環境への適応を決定するような心理的身体的な諸々のシステムからなる、個人の中の力動的組織である。
Personality is the dynamic organization within individual of those pychophysical systems that determine his unique adjustment to his envaironment.

この定義には次のような含意がある。

  • 人格は静的でも固定的でもなく、変化していく(力動的組織 dynamic organization
  • 人格は要素の単純な寄せ集めではなく、複雑かつ緊密な「組織 systems」である
  • 環境とは所与のものではなく、個々人が何が自分にとっての環境であるか自分で決定する(the envaironment ではなく his envaironment

「人格とは、環境への適応を決定するシステムである」

重要なのはここだ。人格は「固定された岩」ではない。「環境に適応するためにあなたが無意識に作り上げたプログラム(システム)」なのだ。

つまり、あなたが「人見知り」なのは生まれつきの呪いではない。

過去のあなたが、特定の環境下で生き延びるために「人見知りというアプリ」をインストールしたに過ぎない。

アプリならアンインストールできる。あるいはアップデートできる。
人格心理学を学ぶ意義はここにある。

自分を「運命」として受け入れるのではなく「システム」として管理下に置く。この認識がきっとあなたの生きやすさを根底から覆すだろう。

2. なぜ、あなたの「直感」は常に間違っているのか?

心理学には「投影(Projection)」という残酷な概念がある。

俗に言う「下衆の勘繰り」だ。

例えば、AがBにチョコバナナクレープを奢ってくれるという。
それはAが今朝、付箋代わりに文庫本に挟んでいた1000円札を発見したという、偶然による気まぐれであって深い意図があるためではなかった。
ところがBは「は。こいつ甘美なものでおれを懐柔しようとしていやがる」と思った。
「さてはこの前Aの彼女とデートしたことを吐かせるつもりだな。その手には乗らないぞこの腐れ外道め」

このとき、Bは自らの心の醜さをAに投影し、Aを「腐れ外道」と判定しているのである。

この例はやや極端であることを認めるが、人は往々にして自分の心にある「汚さ」を認められないがゆえに、それを他人の顔に貼り付けて(投影して)安心しようとする。

人間は、いつだって自分というフィルターを通してしか世界を見ることができないのである。

キアヌ・リーヴスの代表作「マトリックス」でしばしば「汝自身を知れ」と書かれたプレートが写されるように、それは重要なことなのだ。


そして自分自身の「歪んだフィルター」を自覚しない限り、あなたは一生、他人の幻影と戦い続けることになる。

3. 「人格」と「性格」の決定的な違い

人格という概念の輪郭をはっきりさせるために類似概念と比較してみよう。

人格ときわめて近い概念で日常言語における使用ではしばしば同義扱いされる語に「性格 character」がある。
心理学では「性格」は「人格」に内包される。

言葉の定義をハッキリさせておくのは、これが区別できないと自己分析は失敗するからである。

性格(Character) 狭い意味での「特徴」。道徳的な評価が含まれることが多い(例:良い性格、悪い性格)。
人格(Personality) 性格に加え、知能、身体的特徴、価値観、無意識まで含めた「その人の総体」

すなわち、人格とは、人間を構成するさまざまな心理的・身体的な要素を統括する上位システムであるということ、そしてそれは、個人個人で個別的であるということ、また、その個人は環境へ適応するが、それは受動的ではなく、自ら意味を変革していく能動性をもつものであるということである。
大山泰宏『人格心理学』p.15

例えば、「二重人格」とは言うが「二重性格」とは言わない。

性格は場面によってコロコロ変わる(家での顔、会社での顔)。それは「キャラ」だ。
それら全てのキャラを統括しているOS(オペレーティングシステム)こそが「人格」だ。

あなたが変えるべきは表面的な「性格(アプリ)」ではない。その奥にある「人格(OS)」のバグを見つけ出し、修正することなのである。

4. まとめ:複雑さを愛せ

「なにがその人をその人たらしめているか」という人格に関する研究は1920~30年代アメリカにおいて盛んになった。

当時は、第一次世界大戦(欧州大戦)による生産設備の壊滅で西欧諸国が停滞していたのに対して、無傷のアメリカは空前の繁栄を迎えていた(「狂騒の20年代(Roaring Twenties)」)。

経済的な豊かさの中で、アメリカは伝統的なヨーロッパ文化とは異なった独自の文化を求めていた。
T型フォードの自動車製造、ジャズ、ディズニー「ミッキーマウス」、ラジオ、コカ・コーラなどすべてこの時代に登場したものである。

そういった状況の中で、個人差に興味を向け、個人の可能性を開発していくことから人格や性格の研究が盛んに行われたのだ。

それは、「人間は変われる」という希望を誰もが願った時代とも言える。

翻って、現代はどうだろうか?

「親ガチャ」という言葉に逃げ、自分の人生を遺伝子や環境のせいにして諦める風潮が強まっているのを感じないだろうか。

そのような時代だからこそ、人格心理学は教えてくれる。

人間は、環境に支配されるだけの受動的なロボットではない。
自ら環境に意味を与え、世界を再構築できる能動的な存在である、と。

「自分探し」なんて甘っちょろい言葉は捨てろ。必要なのは「自己解剖」だ。

鏡(理論)を持て。そして、自分の後頭部を直視せよ。
そこには、あなたがまだ知らない「生存のための武器」が眠っているはずである。

それではまた。

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