周知のことであるが私が人生で出会った中でもっとも深く感銘を受け、多大な影響を受け続けている小説は森見登美彦『ペンギン・ハイウェイ』である。
世の中では案外気づかれていないが、森見作品の中で最高傑作は間違いなく『ペンギン・ハイウェイ』である。断言する。
これは本書との個人的な付き合いであるが、出版されてからの15年間で私がこの作品を読み返した数も他の作品に比類できないし、そのたびに慟哭してしまうこともずっと変わっていない。
『ペンギン・ハイウェイ』という書籍としてまとめられた文字の並びを愛しているし、そこから立ち上ってくるあらゆる心象・感情・思考、雰囲気が私にとってなによりも特別なものである。
しかし、今回はそれについて語るつもりはない。
重要なのは、つい先日また再読して、滂沱の涙を流して、心を洗われ、ノスタルジアに浸りきりながら、私もまた「お姉さん」に会えるようにアオヤマ君のような努力を積み重ねないといけないと改めて思ったことである。
それが引き金となって、十数年書き続けてきた日記をぱらぱらと振り返ったりしてみたところ、過去の私の思考量と深さ・文章量に我ながら驚いたのと、読書量もいまよりはるかに多いことに多少のショックを受けたのであった。
仕事が忙しい、というのは言い訳にすぎない。私はもっと知識と思考を蓄積し、書きたい。そのためにはアウトプットの機会が必要である。そこで気付いた。
D氏
そもそも、私がブログを初めたきっかけは、副業というか、少しでも本業以外でお金を稼げたらいいという極めて実利的、資本主義的な目的からであった。
しかしそうすると「どうやったら不特定多数の人に読んでもらえるか」という下心が頭をもたげてきて、目先の数(アクセス数、紹介した商品の販売数など)ばかり追うような邪念にとらわれ、なかなか筆が進まないのである。
結果として、アイデアはたくさんあるものの、それをまとめる時間と根気という資源が枯渇気味で、全然ブログを更新できていなかった。
それならばいっそ、ブログを、現在の思考や関心をアウトプットする場としてもっと気楽に活用していくべきなのではないか、と考え直した。
そもそも「ブログ」とはなんなのかと考えてみると、もともと「weblog」という言葉から派生したという。
これは、「Web」と「ログ」、つまりウェブ上での個人的な日誌や記録を意味する。
ここで思い出したいのが「ログ」という語の起源である。
まず語源はlog(丸太)であるが(ex.ログハウス)、なぜこれが「記録」となったか?
時は大航海時代。海を支配するものが世界を支配するという構図の中で、各国は軍事力として強力な海軍を保有し競争するが、各国とも海上制覇にとって極めて重要な課題があった。
それは、船の位置を知るための正確な「経度」の測定である。
詳しいことは知らないが、自転する地球の大海原で正確に経度を知るためには、精度のよい時計が必要であり、そのような時計の誕生はほんの250年前だそうである。
参考 ジョン・ハリソン(1693-1776)セイコーミュージアム 銀座TOP
つまり、それまでの航海では、もっとアバウトな位置把握をしていたことになる。
そのアバウトな位置把握の方法のひとつ。かつて船乗りたちが丸太(ログ)を船首から投げ込んで時間の経過と離れていく水上の丸太との距離で船の速度を測ったという。
速度が分かれば、時間をかけることで距離を導くことができる。それで、東西方面にどれだけ進んだのかということを確認していたのである。
これを航海日誌(ログブック:logbook)に記録した、というエピソードからログ=記録という意味を帯びるようになった。
「今、自分はどこにいるのだろうか。」という地球上の位置を知ることは船が航海する上で最重要事項であり、この点は今も昔も変わらないというお話であった。
そしてこれは航海に限らず、人生や、知的な在り方に同じことが言えそうである。
世の中に、あらゆる意味で自分の現在位置を把握していない人間のなんと多いことか! 私もそうならないためにも、現在位置を的確に把握するための航海日誌、つまりログ(ブログ)が必要なのだ。
したがって、私はブログを公開(航海)日誌的に活用していくことをここに宣言するものである。
願わくはこの世界のだれかひとりからでも反響(というか反応)があれば望外のよろこびである。
今日はここまで。