【入門】人格心理学とはなにか【自己分析ツールとしての教養】

人格心理学とはなにか?

結論からいうと「人間一人ひとりを個別に理解しようとする心理学」である。

では、その人格心理学を知ってなんの得があるのか?

そもそも自己や他者の心を知りたいという欲求は誰の中にもある。
また、知らなければならない場面というのもある。

例えばこんな↓↓

  • 家族や妻・夫、恋人との関係性のため
  • 学校の友人との関係性のため
  • 就活でエントリーシートを書くのに自分を理解したい
  • 営業でいい成績を残すのに顧客の考えを知りたい
  • 人生の壁にぶち当たって「おれ、わたしってなんなんだろう?」という疑問に捉えられてしまった

人間は「人」の「間」と書く。つまり他者、すなわち世界(あるいは社会)の中で生きていかざるを得ない以上、自分や他人の心の在り方を考えずにはいられないのである。

ところで、「下衆の勘繰り」という表現がある。
これは「自らの心が他者に投影されていること」という意味内容を含む。

例えばAがBにチョコバナナクレープを奢ってくれるという。
それはAが今朝、付箋代わりに文庫本に挟んでいた1000円札を発見したという、偶然による気まぐれであって深い意図があるためではなかった。

ところがBは「は。こいつ甘美なものでおれを懐柔しようとしていやがる」と思った。
「さてはこの前Aの彼女とデートしたことを吐かせるつもりだな。その手には乗らないぞこの腐れ外道め」

このとき、Bは自らの心の醜さをAに投影し、Aを「腐れ外道」と判定しているのである。
この例はやや極端であることを認めるが、要するに、人間は「自分」を基準にしてしか他者や世界を理解することができない。

ここから言えることは、知るべきはまず「自己」という知覚パターンだということである。
(キアヌ・リーヴスの代表作「マトリックス」でしばしば「汝自身を知れ」と書かれたプレートが写されるように、それは重要なことなのだ。)

しかし問題は己を知ることほど難しいことはない、ということだ。

自分の後頭部を一生懸命見ようとすることにも似た自己分析であるが、その為のツールとして「人格心理学」が役に立つ。
鏡を用いれば自分の後頭部も見えるのである。

参照
放送大学 教養学部 教授
京都大学 教育学研究科 研究員 大山泰宏 著『人格心理学』
「まえがき」および1章「人格心理学を始めるにあたって」
また、放送大学における大山先生の同タイトル講義も参考にしている。

人格心理学成立の背景

本題に入ろう。
そもそも心理学とは人間の心を探求しようとする学問であるならば、
なぜわざわざ「人格」という言葉を重ねる必要があったか?

冒頭で述べたように人格心理学とは人間一人ひとりを個別に理解しようとする心理学である。
裏を返せば、心理学では個人の心を対象としていなかった。
万人に共通する「人間の心」という一般化・抽象化されたものについて研究されていたのである。

「なにがその人をその人たらしめているか」という人格に関する研究は1920~30年代アメリカにおいて盛んになった。
当時は、第一次世界大戦(欧州大戦)による生産設備の壊滅で西欧諸国が停滞していたのに対して、無傷のアメリカは空前の繁栄を迎えていた(「狂騒の20年代(Roaring Twenties)」)。

経済的な豊かさの中で、アメリカは伝統的なヨーロッパ文化とは異なった独自の文化を求めていた。
T型フォードの自動車製造、ジャズ、ディズニー「ミッキーマウス」、ラジオ、コカ・コーラなどすべてこの時代に登場したものである。

そういった状況の中で、個人差に興味を向け、個人の可能性を開発していくことから人格や性格の研究が盛んに行われたのだ。

キーワード
人格 Personality という言葉が心理学の述語として初めて用いられたのは、アメリカの心理学者・精神科医 モートン・プリンスの著作“The Dissociation of a personality”(1906)

人格の定義

 

次に「人格」という語の定義である。
人格の定義としてもっとも一般的なのはアメリカの心理学者オルポートによるものである。

(人格とは)個人の環境への適応を決定するような心理的身体的な諸々のシステムからなる、個人の中の力動的組織である。
Personality is the dynamic organization within individual of those pychophysical systems that determine his unique adjustment to his envaironment.

この定義には次のような含意がある。

  • 人格は静的でも固定的でもなく、変化していく(力動的組織 dynamic organization
  • 人格は要素の単純な寄せ集めではなく、複雑かつ緊密な「組織 systems」である
  • 環境とは所与のものではなく、個々人が何が自分にとっての環境であるか自分で決定する(the envaironment ではなく his envaironment

 

少し難しいかもしれない。
つまり、われわれ人間は植物や動物のように単に客観的な環境に受動的な反応を示すのではなく、外的な世界の意味付けを自ら変えていける能動的存在だということである。

周囲の人間を見れば簡単にわかるはずである。
同じ出来事に遭遇して、人は自分と同じ感情を抱き、同じ行動をとるか?

そんなことはないのである。

すなわち、人格とは、人間を構成するさまざまな心理的・身体的な要素を統括する上位システムであるということ、そしてそれは、個人個人で個別的であるということ、また、その個人は環境へ適応するが、それは受動的ではなく、自ら意味を変革していく能動性をもつものであるということである。
大山泰宏『人格心理学』p.15

人格と性格

続いて、人格という概念の輪郭をはっきりさせるために類似概念と比較してみよう。
人格ときわめて近い概念で日常言語における使用ではしばしば同義扱いされる語に「性格 character」がある。
心理学では「性格」は「人格」に内包される。

これらの概念の差異はなにか?

それぞれの語を用いた文を例に挙げてみよう。

「すぐ怒るのは、どうやら兄弟共通の性格らしい」
「彼女の性格は母親にそっくりだ」
「(面接にて)あなたはご自分をどのような性格だと考えますか」
「“ハンドルを握ると性格が変わる”のはドレス効果が理由の一つと考えられる」

「話し方は知性や人格の表れにほかならない」
「父は酒を飲むと人格が変わる」
「二重人格あるいは多重人格

これらの文のうち「性格」「人格」を入れ替えてみると印象はどう変わるか?

性格は兄弟や父母と共通のものがありえても、人格が共通であることはありうるか?
自分の性格を言葉で説明できても、人格を説明することはできるか?
性格が変わる」のと「人格が変わる」のとではどちらがより根源的な変化に感じるか?
二重人格であることが異常なように感じるが、二重性格という表現がないのはなぜか?
人格は統一的であるが、性格は二重もなにも誰にとっても複数あるのが普通だということか?

まとめるとこうだ。

人格とは、性格のほかに、知能や記憶、意志などのさまざまな要素を含むものであり、その人に現象している特徴から潜在的なものまで、包括的に考えることのできる概念であると言える。

大山泰宏『人格心理学』p.13-14

人格概念と歴史的状況の結びつき

人格がどのような概念であるかはご理解いただけたかと思う。
最後にその人格を理解するため理論モデルと時代的な社会状況の関連について述べておこう。

われわれがどのような人格であるか?
それを理解しようとしてこれまでにさまざまな理論モデルや方法が考えられてきた。

  • クレッチマーの類型論やユングのタイプ論
  • アイゼンクの特性論
  • フロイトの力動論
  • 内田・クレペリン精神作業検査に代表される人格検査法
  • S-R図式(刺激―反応図式)
  • ベルタランフィの一般システム論
  • 脳科学と人格の結びつき
  • 構成主義
  • スキーマ理論
  • 人格形成に重要なのは環境であると考えたワトソン
  • 人格形成に重要なのは遺伝であると考えたゴダート

 

個々の内容についてはいずれ詳述するかもしれないのでここでは触れないが、重要なのは時代や社会・文化的背景によっていくつもの人格に関する考え方が生まれたということである。

それは裏を返せば、人格に関してたった一つの正解があることの否定でもある。
人間の人格はこれこれをすれば理解できる! という単純なものでも明快なものでもないのだ。
そしてなにより、人格を理解しようとする側にもまた人格がある。このことがより事態を複雑にする。

人間が人間を理解しようとするとき、その理解の枠組みにはどのような時代状況や背景があったのか?

人格概念とともにそう考えたくなる人間とは何なのか? 

それを問うのが人格心理学という学問である。

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