【現代資本主義】「所有と経営の分離」とはなにか?【基礎からわかりやすく徹底解説】

この記事は以下の疑問に回答している。

  • 株価ってなんで変動するの?
  • 投資初心者なので、株式市場がこわい!
  • 投資ってギャンブルなんでしょ?
  • 所有と経営が分離してなにが問題なの?
  • 用語は聞いたことがあるけど内容知らない…
Key words
経済学/経済思想/資本主義/株式会社/投資/金融市場


経済学の概念である「所有と経営の分離」について、言葉は聞いたことがあっても意味を知らない、あるいは言葉すら聞いたことがない、という人は少なくないのではないだろうか?

もしくは

そんな小難しい話、おれには関係ないね!
そう思っているならば、あなたはとんでもないおまぬけさんであると言わざるを得ない。

この概念は我々の生きるこの現代資本主義の本質に関わっているので知っておくと大変有益である。

例えば、もしあなたが投資をしているのであれば、これを知ることで株価についての認識が変わるかもしれない。

認識が変われば行動も変わる。それはよい投資成績や、株価暴落による危機の回避につながることもあるだろう。

投資をしていなくても、あなたが民間企業に所属している社会人もしくは今後就職予定の大学生(高校生も)であれば、会社が成立する仕組みを知っておくことで自分の生活を翻弄しうる出来事を予期できるかもしれない。

その他、上で述べたように

株価ってなんで変動するの?

投資ってギャンブルなんでしょ?
結局、所有と経営が分離してなにが問題なの?

そんな素朴な疑問を持っている人にもきっと役に立つことと思う。

さて本題。まずは結論から言おう。

「所有と経営の分離」とは、大規模化した産業の資本を少量ずつ多数の投資家から集めることである。

ここでは何を言っているのか分からなくも大丈夫。
一つずつ順を追って詳細を見ていこう。





1.株式会社の仕組みをおさらい

1-1.株式会社とはなにか?

大前提として株式会社とは、株式と引き換えに出資を集め、その資金で事業を運営していく会社形態のことである。

では、株式とはなにか? 株式とは会社の所有権である。

一般に「株主権」と呼ばれ、さらに言えば「自益券(配当を受ける権利)」と「共益権(会社の運営に参加できる権利)」に分かれる。

会社が株式を発行するメリットは「自己資金調達」ができるという点だ。

自己資金とは何かというと、自分が所有しているお金である。例えば、自分で貯めた貯金や贈与された(=返す必要のない)お金、退職金などが挙げられる。そして株の発行と引き換えに手に入れたお金もここに含まれるのだ。

具体的にしてみよう。
会社を運営するには金が要る。

生産設備、土地代、人件費(給与/福利厚生)、事務所の家賃、備品、光熱費、在庫管理費、宣伝費、採用、税金、etc…

人間が集まって何かを生み出そうするにはとにかく金がかかる。これをラン二ングコスト(維持費)という。

会社設立やその後の運転資金は、まず銀行等の金融機関からの借り入れ=融資で集められる。しかし借金はいつか返さなければならない。これは会社にとって重荷となる。

そこで株式の出番である。株式を発行して出資を募ることで、将来の株式の値上がりや配当金を期待する投資家から返済する必要のないお金を集めることができるのだ。

投資家から集めた資本を元手に事業を運営していく。それが株式会社である。

1-2.投資とはなにか?

株式会社は投資家からの出資によって成り立っていることを見てきた。

では、今度は投資家側の視点に立ってみよう。

投資とはどのような行為かというと「将来的な利益の獲得を目指し、手元にある現金を未来に向かって投げること」だ。

会社は、出資を募りたいとき、自分たちがいかに社会的価値を生み、その対価として利益を上げられるかアピールする。

投資家は、会社の事業内容や将来性を考慮して、出資した会社が成長し、出資金が未来で大きくなって戻ってくることを期待できるとき、出資を決める。

株式の保有は、儲けに対して利益の分け前をもらう権利の所有である。

ただし、ここがポイントだが、株式への投資は「元本保証」がされていない。

「投資」と呼ばれるものには対象が色々ある。

投資と聞くと土地・不動産や株を真っ先に思い浮かべる人も多いと思われるが、実は一般的な銀行預金や個人向け国債なども「投資」の一形態である。

どういうことか?

分かりやすいので銀行預金を例にとろう。

私たちはATMを通じて「お金を預ける」ことを日常的に行う。

預金をするとき我々の現金はすぐに使える状態ではなくなる。通帳上の数字になる。

自動販売機でジュースを買おうと思っても、通帳上に記載された数字の羅列では何も買うことができないのである。それは「銀行預金」という投資商品を買っために手元の現金が失われたからだ。

また、銀行預金には利息が付く。皆さんはなぜ預金に利息が発生するのか考えたことはあるだろうか?

預金につく利子というのは、あなたが銀行という金融機関の「普通預金」という商品に出資した対価として、一定期間キャッシュ(現金)を失うリスクと引き換えに支払れるものなのである。

投資家は投資対象の事業内容や将来性に賭ける、ということを先に述べた。

では銀行預金を購入している我々はいったい何に期待しているのか?

金融機関ももちろん事業をしている。あなた方のお金を預かり、管理するという仕事である。その対価として手数料をとっているのだ(それだけでは勿論ないが)。預金とはそういう事業に対する一種の「投資」なのである。

ただし、上述のように「預金」と「投資」はその性質上、大きく異なる。

預金は基本的に払出し時に預けた金額を下回ることがない。つまり元本が保証されている。

だが株は、出資した会社が倒産し株券が紙切れになろうがそれは出資者の責任となる。

要するに、投資家の「将来の利益に対する期待」が幻想だったということであり、将来予測のハズレにのみ原因が帰せられる。
※株と同じく発行するもので「社債」があるが、これは株とは全く別物である。社債は負債であり、所有者は債権つまり貸した金の返却を請求する権利を握っている。

まとめると、投資とは、預金より相対的にリスクの高い(言い換えれば、将来予測が難しい)投資対象に対して、今手元にある現金を将来的な利益の獲得のために未来へ投げる。いわばタイムカプセルなのである。

Key Point
投資としばしば混同されるものに「投機」がある。投資と投機を厳密に区分するのは難しいが(値上がりに期待するという点では非常に似ているので)、極めて短期間で、かつ事業の成長ではなく、単純な株価の値上がり・値下がりだけを見て売買を行う。それが投機と言えるだろう。
PC画面をいくつも並べてチャートと睨めっこしながら仕事している証券会社のイメージだ。ああいったものを「投資」と誤解するところから「投資=ギャンブル」という一般通念が出来上がったと思われる。

1-3.自己資本比率

次に 株式会社は誰のものなのか? という問題を考えよう。

あなたが所属している会社は誰のものだろうか?

え? 会社って社長のものじゃないの?

そう思っているならば、やはりあなたはとんでもないおまぬけさんであると言わざるを得ない。

厳密にいえば株式会社の所有権は、出資をして株式を保有する株主に属している。
ただし、日本の99.7%は中小企業であり、中小企業の株主は社長もしくはその親族・近親者が有している場合が一般的なので、会社=社長のものと考える人が多いのもむべなるかな、といったところである。

会社の所有者を考えることは、会社の最終的な意思決定権は誰の手にあるか?を考えることと同義である。

株式会社では、出資額に応じて株式の所有比率が決まる。株式の所有比率がそのまま株主総会における議決権の比率となる。

つまり、株式の保有数が多い株主ほど会社の経営に関する強い発言権を持っていることになる。

そこで重要になるのが自己資本比率という概念である。

自己資本比率とは、返済不要の自己資本が全体の資本調達の何%を占めるかを示す数値である。

自己資本比率が小さいほど、他人資本の影響を受けやすい不安定な会社経営を行っていることになり、会社の独立性に不安が生じるといえる。逆に自己資本比率が高いほど、他人資本の影響を受けない経営ができる。

簡単にいえば自己資本比率とは、どれだけ自分の意志を会社経営に反映させることができるか、そのパワーバランスの指標である。

業界、規模にも拠るが30~50%の自己資本比率があれば優良企業、つまり倒産しにくい企業と一般に評価される。

Key Point
自社株買いが株価を上げるのは、自己資本比率の上昇=経営コントロール権を取り戻すことだからだ。
(市場に出回る株式の供給量を減らすことで1株当たりの価値が上昇し、株主へのパフォーマンスにもなる)

余談だが、これは人間に置き換えて考えても同じことが言えそうである。

自分の人生(=経営)を自分の意志でやっていける人は強い。他者に依存していないので意見に振り回されず、自信を持てる。

周囲の意見が気になり、「お前ちゃんとやれよ!」とどつかれながらビクビク生きている人は、少し自社株買いをしてセルフコントロール力を高めた方がよい。





2.金融市場と株価について

2-1.市場の歴史的発展

さて、株式会社や投資といった基礎を踏まえた上で、今度はその前提となる「市場」について考えていこう。

当たり前だが、車は造っときゃ走るというものではない。走るためには整備された道路が必要である。

投資も同じだ。投資をするためには「株式市場」という“場”が必要なのである。

歴史的に言えば、アントウェルペン証券取引所(オランダ)が世界で初めての証券取引所として1531年から存在している(『資本主義の歴史』)。

ここで証券を発行し、巨額の資本金を集めた世界初の株式会社がかの有名な「(オランダ)連合東インド会社」である。


それから時代を下って18世紀末~19世紀初めごろ、「世界史の転換点」となる出来事が起きる。

イギリスにおける「産業革命 The Industiral Revolution」だ。

その詳細も語りだせばたいへんおもしろいのだが本筋からズレすぎるのでここで立ち入りはしない。

気になる方は『詳説 世界史研究』で復習することをおすすめする。


ここで重要なのは、産業革命が起きるためにはどんな環境的前提が必要だったか、ということだ。

産業革命を支えたのは当時のイギリスの人口爆発であった。

大量の人間が働き、生産物を生み出し、またそれを購入する人たちに支えられていた。

ではその人口爆発はなぜ起きたのか?

当時は感染症の時代であった。コレラやペストのなどの伝染病がしばしば広がり、人々はたくさん生まれたがたくさん死んだ。

そんな状況を変えたのは、公衆衛生の発達だった。 具体的に言えば、上下水道が整備されることで衛生面での環境改善が起こったのである。

さらに問いを深めていこう。

公衆衛生の発展を支えたのは上下水道の整備であるが、国全体に上下水道を整備するためには、そもそも大量の鉄パイプを生産できなければならない。

大量の鉄パイプ生産には、製鉄技術もさることながら、大前提として製鉄所のような巨大生産設備を造れる企業がまず必要なのだ。

製鉄所や石油コンビナートなどの大規模産業を興そうとしたら何千億~何兆円という多額の資本金が必要となる。そんなものを自己資金で賄える人はいない。必ずどこかから調達してこなければならない。

どこで調達するか? 株式市場しかないのである。

加えて、個人または少数の人間ではそんな高額の出資などできっこない。そこで、企業の所有権である株式を発行し「利益に応じて●%の利率をお支払いします!」という形で売る。すると金融市場で株投資家が買ってくれる。資金が集まる。

というように、現代的な株式会社や資本主義の発生段階初期から、市場もともに発達してきたのである。

2-2.株価はなぜ変動するのか?

さて、株式売買がされる場としての「市場」を見てきた。

そこで売買される株価は刻一刻とその価値すなわち評価額が変わる。

ここでは、なぜ株式の値段つまり株価は変わるのか? という問題を考えよう。

株に特別の関心を払わない人たちであれば、株式市場で流れる株価は需要と供給によって決まっていると素朴に考えているのではないか?

確かに初期の資本主義世界ではそうだったに違いない。

株を発行して運転資金を調達する。産業を育てる。営業利益が出る。株主にきちんとリターンが支払われる。そうすることでその会社の株式の魅力が増していき、「わたしも保有したい!」と考える人が増える。

発行された株数(供給)に対して保有したい人(需要)が多ければ市場における株の評価(株価)は上がるし、少なければ下がる。

ミクロ経済学的に言えば「価格は、調整メカニズムが作用した結果、需要曲線と供給曲線の均衡点へと収斂する」となる。

しかし、現代資本主義はそんなところからずいぶん離れてしまっているのである。

われわれが日常的に売買する生活用品ならばある程度需要と供給のバランスにより価格が変動するであろうが、金融商品、わかりやすく言えば「株(価)」はもはやそれほどシンプルではないのだ。

株式市場における資産価値評価には、伝統的に次の二つの見方がある。

  • ファンダメンタル価値理論
  • 砂上の楼閣理論

前者は、投資対象には「本質価値」と呼ばれる絶対的価値があり、それを分析すれば現在の資産価値を評価できると考える。

後者は、資産価値は群集心理つまり多数者の幻想で決まると考える。

難しい話は抜きにして、少し考えてみてほしい。

株価に根拠があり、正しく評価できるというならば「バブル」は起きるだろうか?

バブルの渦中にいる人間はそれがバブルであると認識できない、つまり幻想の価格であると評価できないから株を買っているのではないか?

もっと現在を生きる自分たちに引き寄せてもいい。

我々はコロナ禍によって、経済状況が良いとはとてもじゃないが言い難い世界を生きている。

にもかかわらず、米国株を筆頭に世界の株価は高値を更新している。
参考 【大澤真幸/柴山桂太 対談】資本主義の終わりを想像することは、世界の終わりを想像するよりも難しい表現者クライテリオン


この現実の経済状況(実体経済)と株高(金融経済)の乖離は一体何なのか?

ここまでの道具立てをして、我々はようやく「所有と経営の分離」について考えることができる。


3.所有と経営の分離の問題点

ここまで、現代的な株式会社の仕組みを見てきた。

大規模化した産業の所有権は、株式として分割され、株式市場に流通し、それを様々な投資家が所有している。

市場の規制が緩和され、グローバル化によって世界中への投資の敷居が下がり、一般大衆が株式市場へ容易にアクセスできるようになった現代。

株式の所有者が経済や経営に関して素人であるから、浅い知識しかない。

したがってその素人の集団心理は日々のニュースに考えを揺さぶられ、過剰に反応し、経営状況と全く無関係なところで証券が売買される。その結果、金融市場は著しく不安定になっているのだ。

これが、実体経済と金融経済の乖離を生んでいる根本原因である。

現代の資本主義(=金融資本主義)における株価は企業の実態を反映などしていない。大衆の根拠なき幻想が証券の評価額を乱高下するさせるのである。

【中野剛志×藤井聡】グローバリズムからの脱却!【独自の視点を交えて要点まとめ!】

投資がギャンブル的要素を帯びるのは、こうして市場の安定性が失われているためだと言える。

そしてこのような市場環境では、激しい資産価格の動きに乗じて、一攫千金を狙う「投機家」つまりギャンブラーがうじゃうじゃ湧いてくる。

彼らによって市場はより一層不安定なものとなるのだ。

この「所有と経営の分離」を問題視した経済思想家は何人もいるが、その代表がジョン・メイナード・ケインズである。

彼のこの言葉がまさに問題の本質を語っている。

株式会社のもたらす結果として、会社の保有が、今日の利益を買ってそれを明日売り、今持っているものに対する知識も責任もないような無数の個人によってばらばらにされているときは、所有と経営の実質的な責任の離別は、一国内においても深刻なものとなる。しかし、この原則が国際的に適用されるときは、緊張の時代には、耐えがたいものとなる――私は私が保有するものに責任を持たなくなり、私が保有するものを運営する人々は私に対して責任を負わなくなる
(『資本主義の預言者たち』p.177-179)





4.まとめ

我々の生きる現代資本主義の思索も終わりが近づいてきた。

これまでの議論をごくシンプルにまとめると次のようになるだろう。

・株式市場を通じて、多額の出資をかき集めることが容易にできるようになった。
・経営と関係のないところで株価が上がったり下がったりする。
・個人株主は自分が出資している企業の実態に無関心なズブの経済的素人である。

特に「グローバル化」つまり金融の資本移動の規制が徹底的に緩んだ現代では、例えばローカルな鉄道会社の出資者が世界各国の個人投資家となる。彼らは現実にそのローカル線沿線に生活している日本人のことなどどうでもよい。不便になろうがなんだろうが、不採算路線はさっさと撤廃して利益率を上げろ!配当金を増やせ! と圧力をかけてくる。

我々を投資家側にして考えてもいい。

日本ではYouTuberの影響もあって、米国株投資が空前のブームである。インデックスファンドでもETFでもいいが、その中身を構成している企業やそこで働く人間にまで 想像力を働かせて投資している人がどれだけいるだろうか?

自分たちの売買の総合が株価として反映される。その株価をもとに経営者が経営判断をする。業績がよければ雇用を増やしたり設備投資を行うであろうが、悪ければ賃金カット、解雇などを行う。

その経営判断の対象者となる人間が常に、現実に存在し、生活しているのである。

だがそんなことを我々個人投資家はまったく気にしていない。自分が持っている株価が上がって儲かりさえすればよいのである。

こうした投資家と経営者の間に横たわる意識の溝こそが「所有と経営の分離」の最大の問題である。

所有と経営が分離されたこの現代資本主義社会でいかに生き抜くか?

なにも持たない私たちにもできことはある。「知ること」だ。

学問に触れ、自ら考えることでのみ、我々は時代の趨勢に飲み込まれないでいられるだろう。

さらに深く知りたいという方は、以下の書籍が大変参考になるのでおすすめ。





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